RubyistやLisperという言葉は存在するけどJavaerは存在しない理由
RubyistやLisperのようにJava使いのことをJavaerと言わないのは、Javaがフレームワークで頑張る言語だからだろう。Javaプログラマーが自分のアンティティを正確に定義しようとするとJavaerではなくSpringerみたいに呼ぶほうがきっとしっくりくるはず。
じゃあ、Springerという言葉があるかというとやっぱり存在しない。Spring使いはSpringユーザである。ここらへんが現状のフレームワークの臨界点だろうと思う。
「Strutsはインフラである」のようにプラットフォームとして機能しようとするフレームワークばかりでなく、問題解決のためのインターフェースへと進化していくフレームワークはないのか。
本の世界に引き込まれる体験。本当に夢中になっている時は、本という物体を意識することもなく、本を読むという行為自体も意識しない。本の中の世界で生きているという体験をしている。手になじむまで使い込むと、もはやそれを利用していることを意識しない状態になる。そんなユーザエクスペリエンスを持ったフレームワーク。Googleっていう単語のように一般動詞化してしまうようなフレームワーク。そういうのが出てくるとアプリ開発の世界が変わるんじゃないか。
そんなことを下のエントリーを読みながら感じた。
"世界"に"ユーザー"はいない
http://www.arclamp.jp/blog/archives/sensorium.html