生活習慣や文化、美的感覚の違いによる地域性がWebでも顕在化してくる


5/17 ブンデスリーガ2008最終節
バイエルンミュンヘン vs ヘルタベルリン


カーンのブンデスリーガ引退試合であり、試合後に今シーズンのチャンピオンとなったバイエルンの優勝セレモニーがあったこの試合をテレビで見て度肝を抜かれた。プレーがどうのこうのとかではない。


映像の美しさが別次元に突入してしまっている。いやまじですごい。


あたかも印象派の絵画だったり歴史スペクタクル映画だったりを鑑賞しているような映像。荘厳で温かみがあり、その場の熱気が伝わってくる。色彩、カメラワーク、音響。すべてがこうでなくちゃダメというような一体感がある。


この映像を作り出したエンジニアが、普段どんな生活をしていて、どんな知的バックボーンがあって、どんな価値観を持って、何を表現しようとして、この映像をつくりだしたのか知りたい。


映画でいうと、日本、アメリカ、ヨーロッパ映画それぞれ異なる映像の美しさがある。根っこのところで目指している美しさが違う。そこには生活習慣だったり、宗教だったり、気候だったりっていう深層的な部分での違いが投影されている。首題のテレビ放送は、まさにヨーロッパ映画が持つ映像美をそのままサッカー中継に持ってきたような感じ。


日本の放送局やメーカーには、こういう質感を持った映像はつくれない。それは先ほども触れたが、技術的な問題ではなく、もっと文化的なところで最初から目指している美しさの基準が違うから。逆に、日本の持つ高精度な映像や緻密さは他の国では表現できない。


サッカーの醍醐味のひとつに、世界中でプレーされていて、各地域各国それぞれでサッカーをとりまく人や環境が全く違うところがある。ヨーロッパと南米ではもうレフェリングの基準からして違う。同じヨーロッパでもドイツ、イングランド、スペイン、イタリアそれぞれの国の定義したサッカーがあり、独自の観戦スタイルや放送スタイルがある。


Web上では物理的な距離は意味をなさない。だが、それでもインターネットが洗練されていくに従い、Webを利用する人間の生活習慣や文化、美的感覚の違いによる地域性が徐々に顕在化してくると思う。その時に世界から一目を置かれるような、技術的な部分でなくセンスの部分で誰も真似のできないようなWebサービスが日本で生まれているといいと思う。日本は世界に通用しない独自の言語を持つ国だが、そういう意味ではマイノリティであることは決してハンディキャップではない。