Webのヒエラルキー化現象はたぶん不可逆なものになる


先日のエントリーでWebのヒエラルキー化について書いてみたが、こういう現象のことをWeb3.0というそうだ。


ウェブ3.0と黒川紀章
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/05/27/entry_27001839/

ユーザーのもとに情報を再集約する仕組みは、検索エンジンRSSリーダーソーシャルブックマークなどの試みの延長線上にある。

 こうしたさまざまな試みの進化の先には、ライフログの概念も交錯してくる。非常に巨大なブルーオーシャンが待ち受けているように見えるが、しかし情報アクセスを高度化させるため、どの部分まで個人の行動や内面を取得して良いのかという存在論的な問題も浮上してくることになる。こうした進化はおそらく、激しい議論を引き起こすことになるだろう。


Web2.0というフラット化の状態は、Webの歴史で唯一のヒエラルキーの存在しない時代なのだろう。バージョン番号が偶数はフラット化の方向で、奇数はヒエラルキー化の方向でみたいには多分ならない。アナーキーであった幸福な時代は既に終わりを告げようとしていて、これから徐々に形成されていくであろう新しい秩序は、数百年後くらいにWebに変わる何かが出てくるまでは根本から覆ることはないと思う。そして、数百年機能させなければいけない世界全体で利用されるシステムの構築という、向こう見ずな試みに参加できるチャンスを逃す手は無い。


だから「Web3.0」なんていうネーミングはいかにも安っぽくて全然好きになれないし、現象をリアルに表現しているとも言えない。ジャーナリストである佐々木さんには、何か別のもっと的確な表現を考えてほしい。と書いてみる。